絵本のなる木

絵本・子育て・ボランティア体験記

震災ボランティア体験記「ドロかき日記3-下」

 「ドロかき日記3-下」からの続き


 

2011年12月18日AM5:00@宿泊所

かなりの寝不足であるが、身体は十分休められたので起きることにする。

夏の頃は4時ぐらいから皆さん起き始めていたが、寒さのせいかまだ寝ている人が大半である。

仮設のトイレに行くために外に出ると、満点の星空が広がっている。

一瞬「おお」と感動するが、凍えるような冷気に包まれ、さっさと用を足して中へ戻る。

手洗い場の水受けのタライに、厚さ5センチほどの氷が張っているのが目に入り、閉口する。

昨晩の夕食の残りで朝食を摂り、身支度を整えてラジオ体操。

そして本日の作業場、雄勝町(おがつちょう)を目指し、バスに乗り込む。

作業開始@雄勝町

雄勝町とは「雄勝(おがつ)石(いし)」という主に習字の硯(すずり)に使われる石の名産地である。

以前は津波でヘドロまみれになった硯を、現地の人とボランティアで一つ一つ磨いたこともあった、と先輩ボラさんが説明してくれる。

現地に到着すると、一面に広がっているのは硯ではなく、大量のホタテの貝である。

ホタテの貝は牡蠣の養殖に使うもので、毎回北海道から買って倉庫に保管しているのだそうだ。

目の前に広がっているのは、それを津波に流された後だという。

その中から割れていないホタテの貝を拾い集めるのが本日の作業である。

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一緒に作業をする、現地のおじいさんとおばあさん達が出迎えてくれている。

おばあさんはボランティアの大人数に驚き、ボラの代表に「皆におやつでコーヒー買っておいたんだけど、足りないかもしれない」と話している。

それをおばあさんは口に手を当てて内緒話のようにしているのだが、声の大きさは普通なので全員に丸聞こえである。

周囲からくすくすと笑い声がもれ、女性陣からは照れ笑いのおばあさんに「かわいい」の声。

なんとも和やかな雰囲気での作業始まりである。

しかし作業はあまり体を動かさないこともあり、やはり寒さとの戦いである。

目の前に広がる冬の海が、寒さを更に際立たせる。

昨日と違い、午前中から陽射しのぬくもりは感じられるが、雲が太陽にかかると一気に冷え込むので、曇る度にうらめしく空を見上げてしまう。

お天道様さまだ。

お昼~おじいさんの話

昼食は本日もバスで頂く。

食後は例によってトイレまで車で移動。

ここらは草むらがないので男性陣も一緒に乗り込む。10分ほど走り、仮設のプレハブの商店が立ち並ぶ地区に到着。

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この一角に公衆トイレがある。

商店の一つに硯(すずり)を販売している店があり、なんと偶然であるが、そこの店主さんが前述の先輩ボラさんと一緒に、硯磨きをした方であることが判明。

「おかげ様でお店を再開できました」

とお礼を述べる店主さんに、

「よかった、こちらこそありがとうございます」

とお礼を返す先輩ボラさん。

地味な一つ一つの作業が、こうやってカタチになって実を結んでいる姿を目の当たりにすることは、なんと励みになることだろう。

自分もがんばろう、と午後の作業に臨むことにする。

午後は皆の集めてくれたホタテを、津波の来ない山にトラックで運ぶとの事で、おじいさんの運転するトラックに自分も同乗させていただく。

道中、おじいさんはいろいろお話をしてくださる。

地震が起きた後は、しばらく家の片づけをしていたが、津波が来るとの情報で慌てて丘の上まで逃げたのだそうだ。

まさかあんなに大きな津波が来るとは思わなかった、と感慨深そうに話され、また、今は放射能が気がかりで、牡蠣の養殖をしても皆が買ってくれるか心配だ、とも話される。

@女川町~作業終了

途中、甚大な津波被害を受けたと報道されている女川町(おながわちょう)を通る。

おじいさんが鉄筋コンクリートの建物を

「あんなのがひっくり返っちまうんだからな」

と指差す。

普通に建っているように見えた鉄筋2階建ての建物は、よく見るとひっくり返っているのだ。

確かに横づけの非常階段が地面から垂直に伸びている。

この非常階段の違和感は強烈で、思わず息を呑むインパクトがあった。

これほどの威力の津波に襲われたらひとたまりもないだろう。

人の力を遥かに超えた津波の力に身震いするような光景である。

ホタテ置き場は山奥の木のトンネルを抜けたところにあり、まるで秘密基地のよう。

片道45分もかかり、おじいさんはこの山道を毎日何往復もしているそうで頭が下がる。

御年78歳である。

大量のホタテを積み下ろし、更に片道45分かけて戻ると作業終了の時間になっている。

おじいさんがボランティア全員を前に、帽子を取って

「今日はありがとうございました」

とお礼を述べる。

たった一言でも、じんわりと胸にしみてくるから不思議だ。

「ごくろうさまでしたー」

とお互いをねぎらい、拍手が湧き起こる。

清々しい気分になったのも束の間で、自分は日の暮れ始めの冷気にガタガタと震え始め、そそくさとバスに乗り込んでしまう。

後で聞いたが、他の方々はおじいさん達と記念写真を撮っていたそうで、これがこのボランティアで一番の心残りである。

@宿泊所~帰りの会

宿泊所に戻ると、やはり寒さのためシャワーを浴びる気にはなれず、こんな寒い時にシャワーを浴びてくる方々が異星人に見える。

夕食後は例によって「帰りの会」なるミーティング。

チームによって活動場所が違うので、チームごとに作業の内容と感想を述べていく。

聞いていると、仮設住宅での畑作りや、水産工場の清掃の手伝いなど、いろいろな作業があるのだな、と感心する。

そして自分のチームは…リーダーが自分なので自分が発表させていただく。

感想として、

「作業は単調なものばかりだが、復興への道のりは、そういう単調な作業の積み重ねなのだと思う。

その単調作業には大量の人手が必要で、それを被災した人だけでやっていくのは無理がある。

その人手を埋める労力として、ボランティアの必要性を改めて感じた二日間だった」

とつっかえなから述べる。

一応みなさん拍手をしてくれるのでホッとする。

12月18日PM9:00

バスに乗車し、宿泊所を出発。

結局昨晩はロクに寝れなかったし、さっさと寝ようと就寝。

目を閉じると、ボランティア中に打ち解けたのだろう、若い人達のおしゃべりが周りから聞こえてくる。

その声になんとなく耳を傾けながら、そういえば若い人が増えたな、と思う。

以前は自分よりも年上の(当時私は32才)、中年?ぐらいの方を多く見かけたが、今回は自分より年下、もしくは学生のような人が多かった。

しかもリピーターさんばかりで、ある青年は毎週末来ているので何回目かわからないと話していた。

ボランティアの数は減りつつあるとはよく聞くが、その中で、残って活動を継続しているのが若い人達というのは嬉しいことだ。

こうやって若い人の間で支援の輪が広がっていくというのは、復興への希望になるなぁとやけに年寄りじみた感慨にふけっていると、そのまま入眠、

とはいかないの「ドロかき日記」の宿命である。

窓際から流れる冷気に、窓際の体半分にホッカイロを貼るなど悪戦苦闘するが、所詮焼け石に水。

諦めた頃に睡魔に襲われるが、無情にも新宿到着である。

12月19日6:15自宅最寄駅到着。

まだ日は昇りきっておらず、空には月が見える。

千葉の明け方もなかなかの冷え込みである。

早足で帰り、お風呂場に飛び込む。

約三日ぶりのシャワーに、長い長い安堵のため息がもれる。

結局リーダーっぽいことロクにしなかったな。

「さすがリーダー」と声をかけられたのは、皆より夕食を多めに食べた時ぐらいか、と苦笑いを浮かべながら、頭をガシガシと洗い始める。


(了)